サンタクロースと少年

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 コートのポケットに手袋に包まれた両手を突っ込んで、首に巻いたマフラーに顔を埋めながら、西川 守は大学構内を歩いていた。自転車置場までは、守と同じように今日の五時限を終えた学生達がアパートへ帰ろうとそれぞれの方向へ歩いていた。中にはバイトに遅れないようにと自転車を飛ばしている学生もいるし、のんびりバスを待ってベンチに腰掛けている学生もいる。一番多いのは、これからサークルに参加するためにサークル棟へ向かっている学生である。余程の感覚異常者でない限り、今日の寒さに皆完全防寒の服装を固めていた。

 守は今日、バイトのシフトは入っていなかった。そして元々サークルに所属してもいなかったので、今日は大人しくアパートへ帰ってコタツに入り、レポート用の参考資料を読むという予定を立てていた。夕食は鍋にしよう、と守は寒さに身震いしながら思った。一人用の土鍋という便利なものが出現したので、この間買ってみたのだ。食べ終えたら冷凍のご飯もある。明日の朝までの食事はこれで確保できた。

 そうと決まれば早くアパートへ帰ろう、と歩みを速めた守の背に一人の学生が声をかけてきた。知っている声に苗字を呼ばれて振り返った守は、左手を軽く上げてこちらに合図する人を見止めた。

「平野、これからサークルか?」

 それは医学部に所属する学生で、問題児真壁 直人のサークル仲間だった。守が呼びかけると、平野 睦(ひらのまこと)は守に近づきながらコクリと頷く。

「あぁ、時間があるならお茶でも飲んでいかないか?」

 微笑みながらそう言われて、守は先程まで考えていた自らの予定を思い出す。差し迫った用事でもなし、特にここで平野の誘いを断る必要もないと思った守は、マフラーに埋めていた顎を引いて、益々マフラーに顔を埋めさせた。


 平野の細い体の後に従って、守はミステリ研究会の部屋へ向かう。前を歩く平野は随分薄着に見えるが、寒くないのだろうか。守はそう思っただけで寒気がして身をぶるりと震わせた。やがてサークル棟のミス研スペースに辿り着いて、ほっと息をつく。そこには悪友の真壁直人がパイプ椅子に座っていて、足元には電気ストーブが動いていた。

「何だ、真壁だけか?」

 平野は颯爽と机に向かうと、やや乱暴に自分の鞄と抱えていた白衣を置いた。直人はそれまで文庫本に目を落としていて、守が来たことにも気づいていない様子だったが、平野の呼びかけにようやく文庫本から顔を上げて答えた。

「他の奴らはレポートで遅れるそうだ。何だ、守。平野に強制連行されてきたのか」
「お茶に誘われたんだよ」

 守は答えてから直人の九十度隣にパイフ椅子を出し、電気ストーブの恩恵に与った。元々直人は寒がりではないので、守の完全防寒の格好にやや呆れた様子で文庫本を閉じると、平野の鞄と同じように机に放った。

「お菓子あげるからついておいで、って言われてついて行く幼児と同じだな。守、もっと用心深くならないと、いつかこの大女に襲われるぞ」

 そう言って直人が指した先には、電気ポットからマグカップにお湯を入れている平野の後姿があった。すらりとした背は美しいS字ラインを描いている。平野は湯気で曇った眼鏡を外して、右手でインスタントコーヒーの入ったカップを守に渡してくれた。

「お前よりはよほど襲い甲斐がありそうだな、真壁。西川は私の好みだし」

 さらりと言われた言葉に、守はカップを落としそうになる。曇りのとれた眼鏡をかけ直した平野は、直人の言う通り確かに長身だが、理知的な美しさを持った才女だ。医学部でも優秀だと噂だし、ミス研の灰汁の強い面子をまとめる手腕も持っている。ただ唯一、直人とは犬猿の仲だというだけだ。

「守、友人として忠告しておくが、この女だけは止めておけ、何しろこの女は……」

 直人の台詞の途中で、平野はパイプ椅子をわざと音を立てて開くと、長い足を組んで座った。

「西川、クリスマスの予定は入っているのか?」

 左から平野がそう言うと、右からは直人が口を挟んでくる。ここに来ればいつものことなので、守は適当に聞き流しながらコーヒーを飲んだ。

「守は俺と東京タワーでバンジージャンプする予定なんだ」

 温かいコーヒーに満足の溜息をついて、守は聞き流していた台詞に、それぞれ律儀に突っ込みと返事を送った。

「微妙な嘘つくなよ、直人……。あぁ……と、クリスマスはバイトなんだ」

 クリスマスのバイトとして誰もが思い浮かべそうな、ケーキ売りのバイトだった。とてもベターなバイトだけれど、サンタクロースの衣装だけは免れた。バイト全員分用意することができなかったので、ジャンケンで着る人間を決めたのだ。

「そうか、残念だ。映画でもどうかと思ったんだが」

 平野と絡むときは常に直人が一緒に絡んでくるので、彼女の台詞が直人をからかうためのものなのか、それとも守に対する本気のアプローチなのかいまいち分からない。本当に残念そうな顔をされると、守も本気にしてしまうのだが。

「悪いな、平野。また誘ってくれよ。正月とか実家に帰る予定……」

 何しろ相手は美人だ。直人は大女だと言うけれど、それは直人よりも高いというだけで、守とはほぼ同じ身長なのだ。口調も性格も男っぽいが、守としては話しやすくて良い。恋人として、ではなくても女友達として一緒に映画へ行くくらいはあっても良い相手だ。守が本気で平野との約束をとりつけようとしたその時だった。

「クリスマス!」
「な、何だよ」

 いつも通り唐突な男が、やはり唐突に立ち上がって叫んだ。

「クリスマス……。クリスマスとくればサンタクロース、サンタクロースと言えばちょっと感動の物語がつきものだな?」

 つまりどうあっても平野と守が仲良くなることを邪魔したい、ということらしい。

「手短に頼む」

 ここで無視すると余計面倒になるということを、守はこれ以上ないくらい良く知っていたので、直人に話をさせることにした。平野もそれに異論はないらしい。立ち上がると、自分の分のコーヒーを入れに行った。

「承知した。……あれはまだ俺がサンタクロースを信じていた頃……」

 天井を見上げ、意気揚々と話し出した直人だが、コーヒーを片手にした平野に待ったを掛けられて止まる。

「ストップ。具体的にはいつだ?」

 的確な質問だ、と守は思った。答えによって話は随分違ったものとなってくる。直人もそう感じたようで、特に噛み付くことなく答えを返した。

「そうだな、小三の頃だ」

 さらりと言った直人に、守だけでなく平野もしばらく沈黙した。ちなみに守がサンタクロースを信じていたのは小学一年の頃までだったように思う。

「意外だ」
「お前も人の子だったんだな」

 短く驚きを示した平野に続いて、しみじみと言った守に、直人は眉を顰めた。

「むっ……。まぁ、今の暴言は流してやろう。サンタクロースに感謝しろ」
「そうする」

 守は直人の軽口にそう答えて、先を促すように手を挙げた。もう片方の手はカップを口に当ててコーヒーを飲んでいる。

「とにかく! 小三のクリスマスだった。俺はサンタクロースが来る前に、両親にクリスマスプレゼントの先払いを要求した。しかし俺の要求に、両親は辛そうな顔をしてそれは無理だと答えた。俺が要求したのは」

 こほん、と直人はわざとらしい咳払いをした。そして一言。

「煙突だ」

 またしばらくの沈黙が守と平野の上に降りた。やがて平野が妙に現実的なコメントを加える。

「煙突プラス暖炉だと、確かにお子様のクリスマスプレゼントレヴェルではないな」
「おまけに俺の家は十五階建てマンションの七階。フロアの真ん中だった」

 仮に煙突が付けられても、サンタクロースはプレゼントごと屋上から下へ、7階分も煙突を落下しなくてはいけなかったということだ。

「煙突を作らないとサンタが入ってこれないと思ってたのか?」

 結構可愛らしい考え方をするな、と守は思った。しかしこうやって常識的に考えてしまうところが守の悪い癖だ。相手はあの直人だと分かっているのに。

「そういうとり方もできる。しかし実際に俺が考えていたのは、煙突がなければサンタを捕まえられないということだ」
「は……?」

 テーマはサンタクロースのちょっと感動的な物語ではなかっただろうか。これではサンタクロース捕獲大作戦になってしまう。守の混乱をよそに、直人はなおも力強く話し続ける。

「俺は勿論、サンタクロースがソリに乗って世界中の子ども達にプレゼントを配っているなんて思っていなかった。俺は、サンタクロースは世界的な犯罪組織だと考えていたんだ」

 こいつは子どもの頃からそんな常識はずれな思考をしていたのか、と守は再認識してへこんだ。本当に、どうして直人と知り合ったのだろう。そこからずっと、守の人生は長いトンネルに入っている。

「世界中に出没するからには、絶対にサンタクロースは複数人いる。そして煙突から入り込んで、プレゼントを置きはするが、プレゼントよりも高価なものを盗んで帰る。憎い奴の家には煙突から毒を入れることだってあるかもしれない。そう考えたら正義感の強い俺は、サンタを捕まえずにはいられなかったんだ!」

「はぁ……」

 正義感云々の問題ではないような気もしたが、直人の思考回路がそう結論付けたのならそうなのだろう。それにサンタクロースが一人では足りないというところは確かに常識的な判断だ。

「俺が考えた方法はこうだ。長い紐を用意して、片方の端に輪を作っておく。煙突の内側の縁にその輪を貼り付けておく。そうしてもう一方の紐の端を、煙突を通して部屋に引いておけば準備完了だ。何も知らないサンタが煙突に手を伸ばした瞬間を狙って俺が紐を引っ張れば、サンタは輪の中で締め上げられ、下に落ちてくる。すかさず紐でぐるぐる巻きにして、俺は警視総監から感謝状と金一封をもらう予定だった」

 小学三年で金一封を狙うあたり、純粋さや正義とかけ離れていると守は思った。そして紐に引っ掛けられて、屋上から七階分落下したら、サンタクロースは死んでいるだろうとも思った。しかしなにぶん、子どもの考えることだ。

「でも、煙突は買ってもらえなかった、と」

 平野がそう言った。直人はそれに頷いて話を続ける。

「そうだ。煙突がなくても窓から入ってきてくれるよ、という両親の言葉に、それでは窓枠に紐を張れば良いだろうと考えた俺は、罠を窓に仕掛けてサンタを待った」

 窓なら紐に引っ掛けても死なないな、と守は思った。引っ張るタイミングを間違え、サンタクロースの首に紐がかからなければ。

「徹夜か?」

 小学三年で徹夜。しかも理由はサンタクロースを捕まえるためだ。その根性だけは素晴らしい。直人はつまり、昔から人とは違うことに情熱を向ける男だったのだ。

「その予定だった。しかしいつまでも起きている俺に両親は焦った。俺が眠らないとプレゼントを置けないからな。そこで考えた両親は、ココアに睡眠薬を少しだけ入れて持ってきた。“寒いでしょう? ”と言ってな。俺は何も知らずにそれを飲んで、サンタを取り逃がした」


 翌朝枕元にプレゼントを見つけた直人少年は愕然とした。一年に一度のチャンスであった夜に眠ってしまったことを認められず、そしてサンタを取り逃がした悔しさから、少年は起きるなり泣き出した。

「睡眠薬を飲まされたんだ!」

 どうしても自分のせいだと思いたくなかった直人少年はそう叫んだ。こんな大事なときに眠ってしまうなんて、それ以外あり得ないと少年らしい負けん気で考えたのだが、両親は大いに慌てた。

「どうして分かったの!」

 その言葉で、少年は両親がサンタクロースであるということを知ったのだ。少年の中でサンタクロースは犯罪組織のメンバーだったわけだから、プレゼントが枕元にあったこと以上に少年は衝撃を受けた。

「父さんも、母さんも犯罪組織の一員だったんだ!」

 泣きながらそう叫んだ息子に、両親は何が何だか分からなくなっていた。どうにか少年を宥めて事情を聞くと、両親は顔を見合わせた。そして母が息子に向かって嬉しそうに言った。


「“凄いわ、直ちゃん。探偵さんみたいね”と。その次に父が“素晴らしい想像力だ。将来は小説家になれるぞ”と言って、すっかり泣き止んだ俺はそして現在に至る、と。どうだ? 少年と両親のちょっと良い話。ご清聴ありがとう」

 直人は立ち上がって帽子を取る仕草をすると、そのまま腰から大きく身を折った。ここは拍手でもしてやるべきなのだろうが、守の手は鉛のように重くなって動かなかった。

「……俺はちょっとお前の両親を恨むぞ」

 そのクリスマスのエピソードで直人の人生とそれに巻き込まれる守の人生が決まったのかと思うと、涙まで出てきそうだ。

「何故だ? おかげで俺は子どもの頃の無邪気さを失わず、こうして夢を追いかけている。……素晴らしい……」

 夢を追いかけるにしても、もう少しまともな道を示してくれれば良かったのだ。そうすれば、守の人生もトンネルに迷い込まずにすんだのに。

「おかしいな、馬鹿と無邪気は同義ではないはずだが」
「何だと!」

 いつもの通り、平野と直人の舌戦が始まって、守はコーヒーを飲み干すと溜息をついた。やがて未来の推理作家は未来の医者と、ミステリ小説における殺害法の妥当性について議論しだした。

 コーヒーを飲み終えてもなお議論の続く二人の姿を見ながら、守はちらりと隣にある児童文学研究会のスペースを覗いた。人はいなかったけれど、机の上にサンタクロースの描かれた絵本がぽつん一冊置かれていた。守は心の中でこっそりとサンタクロースに呼びかける。自分の失敗を大いに踏まえた上で。


 サンタクロースよ、推理作家の卵にだけは近づくな。

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